多様な言語背景をもつ子どもの母語教育の現状
―「神奈川県内の母語教室調査」報告―

石井 美佳
(横浜国立大学大学院教育学研究科
国語教育専攻 日本語教育研究専修)

〔目次〕
1. はじめに
2. 母語教育の重要性
3.「神奈川県内の母語教室調査」結果
 3-1. 調査の概要
 3-2. 調査結果
   (1)概観
   (2)教育内容
   (3)教材
   (4)イベント
   (5)目的
   (6)困難点
   (7)教育行政への意見
4. ある母語教室の実践から
 4-1. 母語教室に集う子どもたちの意識
 4-2. 親の参加
5. おわりに

1. はじめに

 近年、日本の学校教育現場において「日本語教育が必要な子ども」が急増している。「日本語教育が必要な子ども」ということは、裏を返せば日本語以外の母語(mother tongue / native language)が習得あるいは習得途上にある子どもであるということが考えられる。それらの子どもに対する日本語教育は、それ自体大きな課題であるが、さまざまな議論がなされるなかで、子どもに対する第二言語としての日本語教育を行う際には、ただ日本語をいかに効率的に教えこむかばかりでなく、かれらの母語を視野に入れ、保持伸長させていく必要があるとの意見が出されている 。それではいったい、誰が、どのように、また何のために、子どもたちの母語を保障していくべきなのか。そして実際に取り組む上での問題点としては、どのようなものがあるのか。その具体的な実践については、まだ不明確な段階にある。
筆者は、神奈川県横浜市鶴見区で行われている南米日系人の子どもに対するポルトガル語・スペイン語の母語保障教室( IAPE:イアペ )に、教室開催事務ボランティアとして関わってきた。その活動のなかで、神奈川県内には同様の母語教室が複数存在するらしい、という情報は得ていたものの、その存在はあいまいであったため、その存在をまず確認し、その上でそれぞれの教室をネットワーク化していく必要性を感じた。そこで1998年度、「神奈川県内の母語教室調査」を行った。
本稿は、その「神奈川県内の母語教室調査」結果の概略を記したものである。これにより、いま現在行われている母語教育の現状を、神奈川県を例として把握することが可能となり、母語教育を理念として掲げるだけでなく実践につなげるための具体的な方向性を提供し、ひいては子どもに対する日本語教育のあり方を改めて検討する基礎資料ともなると考えた。
なおこれらの子どもは、「日本語教育が必要な子ども」とか「年少者日本語学習者」、「外国人児童生徒」や「外国人子女(子弟)」と呼ばれることが多いが、本稿では「(日本に在住する)多様な言語背景を持つ子ども(language diversity children)」と呼んでいる。それは以下の5つの理由による。@「日本語ができない」のではなく「他の言語能力を有している」という観点を重視するため。A子どもたちの母語に注目していることから、日本語の習得が進んだ(つまり何らかの基準によって日本語教育が必要でなくなったとされる)子どもも対象に含まれるため(これにはいわゆるオールドカマーの子どもも含まれる)。B対象となる子どものなかには、帰化したり二重国籍だったりで「外国人」とは呼べない子どもも多数含まれているため。C「児童生徒」とは学校に在籍する子どもを指すが、ここでは学校の枠をはずした地域での取り組みにも注目しているため。D「子女」や「子弟」といった言葉はジェンダー問題の観点から不適切であるため、である。

 

2. 母語教育の重要性

 多様な言語背景を持つ子どもの日本語と母語との関係は、十人十色である。出身国の言語が何であるかはもちろんのこと、現在の家庭言語が何なのか、何歳の時に来日したのか、きょうだいがいるのかどうかといった個人的要素に加え、対人関係において日本語と母語をどのように使い分けているのかといったような社会言語的要素、さらには住んでいる地域の環境や、背景を同じくする集団の大きさや地位がどうか、そして日本への定住を志向する定住型なのか、それとも(実際の滞在年がどうあれ)あくまで一時滞在として日本に在住する非定住型なのかという社会的要素など、さまざまな要素が二言語使用の状況(バイリンガリズム)に関連する。
バイリンガリズムは、社会的な状況に応じて大きくアディティブ・バイリンガリズム(additive bilingualism:加算的バイリンガリズム)とサブトラクティブ・バイリンガリズム(subtractive bilingualism:削減的バイリンガリズム)に分けられるという(Lambert,1975)。前者は母語の能力を踏まえた上で第二言語を付け加えるというものであり 、後者は母語が第二言語に置きかえられるというバイリンガリズムのあり方である。この二つのバイリンガリズムには、特に受け入れ社会における母語の社会的地位が大きく影響しているため、言語的マイノリティの場合は、サブトラクティブなバイリンガリズムになり易いという(Landry & Allard,1991)。つまり日本語が圧倒的に優位であるような日本の状況においては、多様な言語背景を持つ子どものほとんどはサブトラクティブな状況に置かれているため、母語保持が極めて難しいと言える 。
母語は、第二言語の読み書き能力や認知面における発達の基礎を成しており、母語と第二言語は相互に依存しているため(二言語の相互依存仮説:Cummins,1984)、第二言語の、特に学校の教科学習に関わる言語(学習言語)の発達のためには、母語の能力が重要となると指摘されている(Cummins同)。言い換えれば、子どもの母語を無視し結果的に剥奪してしまうサブトラクティブなバイリンガリズムに置く限り、子どもは学力的に困難を抱える可能性が高いということである。現在、子どもに対する日本語教育の課題として、教科学習と統合された日本語教育をめざすべきであることがあげられているが 、そのためには、母語の保持伸長をも考慮に入れる必要があることが、これらの研究結果からわかる。
そしてなにより、母語は文化的アイデンティティの根幹をなすものであるため、母語を脅かすことは、親子のコミュニケーションに支障をもたらしたり、子どもの自尊感情を損なうことにつながる。なかには母語で叱る親に対して子どもが「日本語で言ってみろよ」と馬鹿にするケースさえあるという。こうしたケースをみると、母語学習は、母語能力の向上や、ひいては第二言語習得と認知的発達に有利であるといったような道具的な要素にとどまらず、「母語は社会の中で価値があるのだ」と子どもに誇りを持たせ、情緒的な安定を促すことにも役立つと言える。
人権という観点から見ると、日本は国際人権規約や子どもの権利条約 を批准しており、そこでは「自己の言語使用の権利」が言語的マイノリティの人権として謳われている。この二つの条約は法的な実効力をもっていることから、これを実現するには母語教育を推進する必要があると、朝倉(1997)は指摘している。
また大田(1996)は現在「ニューカマー外国人の子どもを対象に日本の学校で行われている日本語教育」は「補償的言語教育」であると述べている。「補償的言語教育」とは、母語を話すことは日本語を話せないことを意味するに過ぎないとして、学習活動の要件である日本語能力を欠く子どもに対して、それを補償するという見地から施される教育のことである。つまりサブトラクティブなバイリンガル教育の形態に分類される。
多様な言語背景を持つ子どもに関する、このようなさまざまな知見から筆者は、サブトラクティブなバイリンガリズムのマイナス面を克服するため、いかにアディティブなバイリンガリズムの要素を取り入れていくことができるかが、今後の日本におけるバイリンガリズムの重要な課題であると考える。
以下では、その具体的なあり方を探るため、神奈川県における取り組みの現状について述べる。

 

3.「神奈川県内の母語教室調査」結果

3-1. 調査の概要

「神奈川県内の母語教室調査」は、多様な言語背景を持つ子どもの母語教育に関する研究と実践のための基礎データの提供を目的として、1998年4月から1999年3月にかけて、ココアの会(どものとばとイデンティティを考える会) が行ったものである。調査の対象は神奈川県内の母語教室 の運営者と教師である。調査項目は大きく分けて9項目である(註参照)。調査にあたっては、複数の調査者が赴き、ココアの会が作成した質問紙(資料1参照)に即して、直接面談しながら調査を進めるという面接質問紙調査法が用いられた。なお、その際には可能な限り授業の見学をさせていただいた。記録は、調査者それぞれがメモや録音テープに基づいて調査終了後に調査報告書を作成し、その複数の記録を筆者がまとめた。

3-2. 調査結果

(1)概観
調査の結果あがってきた神奈川県内の母語教室の総数〔資料2〕は、42団体であった 。
言語別では以下のようであった(数字は教室数、ただし一つの団体で複数の言語を教えている場合があるため、総数とは一致しない)。

コリアン語(10) ・・・外国人学校6、ボランティア4
ポルトガル語(8) ・・・公立学校2、ボランティア5、商業ベース1
中国語(7) ・・・外国人学校2、公立学校4、ボランティア1
スペイン語(6) ・・・公立学校2、ボランティア4
カンボジア語(6) ・・・公立学校2、ボランティア4
ベトナム語(4) ・・・公立学校2、ボランティア2
ラオス語(4) ・・・公立学校2、ボランティア2
英語(3) ・・・外国人学校3
ドイツ語(1) ・・・外国人学校1
フランス語(1) ・・・公立学校1

コリアン語 が10教室でもっとも多いが、これは朝鮮学校を含めたものであるためで、それ以外はいわゆるニューカマーが主な対象であった。すなわち南米日系人の母語であるスペイン語・ポルトガル語と、インドシナ難民の母語であるベトナム語・ラオス語・カンボジア語の教室、そして中国語の教室である。中国語に関しては、対象がいわゆるオールドカマーや中国帰国者、さらには留学生の子どもと多岐に渡っていた。
運営形態別では、以下の4つに分類できる。

・外国人学校(12)
・県や各市町村教育委員会による公立学校(8)
  a. 国際教室の一部として設置(3)
  b. 独立した授業として設置(5)
・地域のボランティアベースによる教室(21)
  a. 日本人による運営(4)
  b. 当事者による運営(17)
・商業ベースによる教室(1) * 公文教育研究会のポルトガル語教室
                   (ブラジルで展開している事業の国語教材を使用)

 公立学校のうち、a.国際教室の一部として行われているのは小・中学校であり、そこでは適応指導の一環として、同じ言語や文化的背景を持つ子どもが一堂に集まるオアシスが必要との認識から、また学校行事の事前指導の時間として、設置されていた。このような時間が設置された経緯として、子どもが学校に適応できず不登校状態となったことをあげた学校もあった。これに対し、b.独立した授業として行われているのは高校であった。このなかには「母語文化理解講座」として位置づけられているところもある。この高校は在県外国人生徒の受け入れを行っており、そのため学校の設置企画段階からそれらの生徒たちに対する日本語の取り出し授業と、母語教育が想定されていたそうである。それ以外の高校では、選択外国語等として設置されていることが多いが、「時事研究」という社会科科目で内容を重視した母語教育を行っているケースも見られた。
神奈川県内で何らかの母語教育を受けていると考えられる子どもの人数は、把握できた限りで、総計3,183人であり、外国人学校の子どもを除いた数は508人である。
 ボランティア教室で母語を学習する子どもの年齢に関しては、圧倒的に小学生が多い。中学生が通う教室は7教室ほどあるが、「中学生になると部活があるから来られなくなってしまう」という教室がかなりあった。また母語教室に通うのは、滞日3年以降の子どもが多いようである。来日して間もない頃は日本語の習得に必死であるが、3年くらい経って気が付いてみると母語を忘れている自分を発見したり、または親子のコミュニケーションに支障がでてきたと認識した親が教室に通わせるのだと思われる。
今回出会った母語教師26人のうち、母語を教えるようになる以前に教育経験があったのは14人である(語学以外の教師としての経験も含まれる)。滞日年数も7年から23年と長く、自らが多様な言語背景を持つ子どもとして日本で、また日系人としてブラジルで育ってきた人もいる。公立学校で日本語指導協力者や国際理解教育講師、言語相談員などとして活躍するかたわら、ボランティアで母語を教えている人が多いものの、逆にボランティアで教えているが、母国で言語教師だったり校長まで勤めたり、また日本で母語教師として10年以上のキャリアを持つような人が、学校などでは教える機会がないと訴えるケースもあった。
 公立学校とボランティア教室の教室開催頻度は、週一回や隔週であることがほとんどであり、平均して月5.6時間(週1時間半程度)であった。この程度の教育機会は、言語能力の向上よりも情緒的な安定を促す機能の側面が強いと言える。また、もっとも少ない所では月に0.8時間、もっとも多い所で月に13.3時間となっているが、これは共に公立学校である。
公立学校もボランティア教室も、クラス分けを行っているのは30教室中7教室にとどまっており、授業の形態としては、年齢もレベルも多様な子どもを同時に教えるという“超複式”授業の形態が一般的であった。
 教室活動年数をみると、1994年以降に始まっている教室が7割を超えている(外国人学校を除く)。また地域のボランティア教室で、1年未満しか継続できなかったものが、判明しただけで7教室あり、ボランティアでの活動は継続が非常に困難であることがうかがえる。

(2)教育内容

これらの母語教室で行われている教育内容は、当然のことながら対象によって異なっているが、この場合特に年齢という要素が大きい。
現在、公立高校で対象となっている生徒は、10歳以上で来日していることが多いが、これは母語による基本的なコミュニケーション能力は身につけている年齢である。そのため例えば新聞や小説を使ったり、「時事研究」という社会科科目として扱うなどの内容を重視した教育を行うことが可能なようである。会話が中心であっても言葉の質を重視し、より美しい、自分をしっかりと表現できる言語を目標としている。それは日常生活での母語によるインプットが貧弱であり、ブロークンな言葉づかいしかできないからであるという。以下は公立高校でポルトガル語を教えている教師のコメントである。

公立の小・中学校やボランティア教室では、子どもの優勢言語がすでに日本語となっていることが多いために、言葉の4技能のうち、話すことを重視している教室がほとんどであった。これは主に親とのコミュニケーションを目的としており、内容的には挨拶や語彙が中心となっている。はじめは会話中心で教えていたが、ある程度会話ができるようになってきて、子どもから「読みたい、書きたい」と言いはじめたために読み書きをやるようになったというボランティア教室もあった。また、読み書きもやりたいが時間の制約上できないという教室も2教室あった。コリアン語では、例外的に「まず文字を乗り越えなければ」と文字教育が中心となっているようである。
言語能力には生活言語と学習言語という二つの側面があると言われているが(Cummins,1984)、外国人学校と一部の高校を除いては、現在行われている母語教育の内容は概して生活言語レベルであると言える。
また、日本語と母語との関係について、長年の経験から以下のように語ってくれたカンボジア人の教師もいた。彼女は公立の小・中学校で母語や日本語を教えるかたわら、自宅にてボランティアでもカンボジア語を教えている。しかし以下のような考え方から、学校ではできるだけ楽しくカンボジアの言葉や文化について紹介することに努め、自宅のボランティア教室では、しっかりとカンボジア語をというように、教育内容を分けているという。

また言語以外にも、遊びや踊り、歌、楽器の演奏などを通じて文化を伝えようとしている教室が多かった。

(3)教材

 教材は、外国人学校とボランティアの3教室が自作テキストを使用している。
 外国人学校では、朝鮮学校と山手中華学校がともに最近教科書を改訂している。朝鮮学校では「定住」という情勢に合わせたものであり、山手中華学校ではそれまで27年間北京発行の「国語」教材を使用していたが、日本生まれ日本育ちの子どもを対象としているという現状に合わせる必要性から「外国語教育的な発想で」教科書を編纂し、使用するようになったという。
 ボランティアの3教室では、カンボジア語教材とベトナム語教材が作られていた。カンボジア語教材は、内戦の影響で母国でも教育を受けられない子が沢山いる現状からその子どもたちをも視野に入れて作られたもので、文字教育が中心となっており「こんな状況だからこそ、子どもたちに夢を持たせるために」とオールカラーの美しいテキストとなっている。ベトナム語教材は内容的には主に20数年前の南ベトナムの教科書から再録する形をとっている。それは「純粋な」ベトナムの心を伝えるのには、現在ベトナムで使われている教科書が使えないためでもあるという。このテキストについては山口(1998)が分析を行っている。それによれば、テキストに取り入れられているテーマは父母や祖父母への愛、恩に関するものや熱心に勉強せよというもの、先生を尊敬せよというもの、またベトナムの自然や文化、歴史、暮らしについて、さらには民族のアイデンティティに関するものなどとなっている。これらの教科書を分析した結果、山口(1998)は「このようなテーマを用いて読み聞かせや朗読、読解といった言語活動を行っており、母語教室が単なる言語の学習にとどまらず、ベトナム人としての生き方やアイデンティティを育てようという目標を持っていることがわかる」と述べている。
 これ以外の教室では、出身国発行の「国語」教材もしくは外国人用テキストを利用したり、日本で発行された日本人向け語学テキスト(例えばNHKテキスト)や第三国で発行されたテキスト(例えばアメリカで発行されたインドシナ難民向け教材や、スペイン発行のスペイン語教材)を用いていたりするケースが多かったが、特別な教材はなく、実物などを用いて対応しているとする教室もあった。ゲームの際にカードを使ったりビデオを見せたり、民話の読み聞かせを行ったり、なかにはインターネットで出身国やその文化に関する最新の情報を子どもたちに検索させている教室もあった。これらの教材は、一部のポルトガル語教室でブラジル大使館が配布した教科書を使用している以外は、教師が自費で購入したり個人的に母国から送ってもらったりしていることがほとんどで、公立学校でも同様であった。

(4)イベント

 多様な言語背景を持つ子どもたちは、日本という環境の中で生活しているために、母語を用いる機会が持てずにいることが多い。そのため母語教室では、母語を使用する機会を提供するために何らかのイベントを行うことがある。それ以外にも教室に通う子どもたちの親睦を深めるためであったり、子どもに文化を伝えるためであったり、教室に通う動機づけを高めることが目的だったり、また地域にこうした母語教室の活動を知らせ、日本人との交流を図ったりするために行うこともある。
 公立学校では、教室として地域の祭りや文化祭に参加することが多く見られた。これは子どもに堂々と誇りを持って自分の文化を発表する機会として、また日本人の子どもに文化を知ってもらおうという目的から行っているようである。例えばある学校では行事のときの挨拶を在籍する子どものさまざまな言語で行っているが、それによって日本の子どもたちも、多様な言語背景を持つ子どもたちの言語や文化を新鮮に受けとめ興味を持って接するようになったそうである。学校のなかで、自分の言葉が他の日本人の子どもに関心を持たれ理解されることは、多様な言語背景をもつ子どもにとって重要な意味を持つと思われる。
ボランティア教室では、文化を伝えるためにそれぞれのお正月を祝う祭りを開いているところが多かった。

 また、ボランティア教室ではイベントの際に子どもにプレゼントをあげるところがあった。これは頑張って母語を勉強している子どもへのごほうびと、動機づけを高めるためである。さらに母語を学習するはっきりとした目的を持つため、母国へのスタディ・ツアーを行っているところが、朝鮮学校、中華学校、中華学院と、コリアン語を学習するボランティアの2教室にあった。またラオス語教室では予算があったらぜひやりたいと述べていた。
 しかしイベントに関しては費用がかかるため、ボランティア教室では財政難から思い描いていてもなかなか実行できなかったり、規模を縮小したりしているところが多かった。

 

(5)目的

 母語教室を設置した目的として自由にあげてもらったものを、以下の6項目にまとめてみた。@民族のアイデンティティを守るため、A情緒的な安定のため、B親子のコミュニケーションのため、Cバイリンガル育成のため、D帰国後の準備のため、E母語による学力保障のため、である。6つのうち複数の目的をあげた教室も多かった。
 @に関連づけられるコメントとしては、以下のようなものがあった。

 Aの情緒的な安定のため については、@とも関わってどの教室も全般的にあげていた。なかには、子どもが日本国籍を取得するかどうかの選択を迫られた時に、教室が一つの選択肢を提供したケースもあった。

 Bの親子のコミュニケーションのため については、インドシナ難民などの滞日年数の長いグループを対象とした教室に多く見られた。

 Cバイリンガル育成のため と D帰国後の準備のためについては、非定住型のグループ(ここでは中国人留学生と南米日系人の子ども)を対象とした教室で見られた。

 E母語による学力保障のため をあげたのは、公立高校のみであった。

 またこれ以外に、最終的な理想として「祖国再建に役立つ人材を養成するため」とした教室が、内戦を経たインドシナ難民を対象とした教室にいくつか見られた。

(6)困難点

 (1)の概要で述べたように、母語教室を継続させるのには多くの困難が伴う。その困難点としては、次の9項目にまとめてみた。@子どもの学習意欲・動機づけ・負担、 A親の協力の少なさ、B場所の確保、C財政面、D子どもの年齢・レベルが多様なこと、E時間の少なさ、F教師の確保、G教材の不足、H学校教育の中での位置づけ、である。
 @に関しては、どこの教室でも問題は深刻である。子どもが来なくなってしまったために「一瞬」で終わってしまったボランティア教室もある。子どもは日本の学校で、忙しくまたさまざまなストレスを抱えているため、週末に遊びに行かないで教室に来ることは負担であるし、また母語を学習する必要性が子どもに理解されていないのだという。そのため、親が強制的に連れてくるという教室も多かった。

 「親の強い意志がないと、ボランティアの母語教室は続けられないのではないか」と多くの関係者は述べる。そのためこの問題は、A 親の協力の少なさ とも関係する。これに関しては以下のようなコメントがあった。

 実際、子どもたちが継続して参加しているような教室では、親の協力が得られており、教室が子どものためだけでなく親同士の交流の場として機能しているところもあった。また、外国人学校が今のように発展できたのも、ひとえに親が一体となって協力し試練を乗り越えたからだという。
親が教室に協力するようになると、はじめは親に強制されて来ていた子どもが次第に意欲的になることもあるという。継続して学習し能力がつくことによって、それが自信につながり、母語学習の動機づけが強まるのだろう。

 インドシナ難民の子どもを対象にした教室の場合が、なかなか子どもが学習したがらず親の強制が多かったのに対し、南米日系人を対象にした教室では、おおむね子どもの意識は高いようであり、子どもたちが教室を毎回楽しみにしているというコメントが多かった。

 また学校教育の枠組みの外で母語を学習するのは、子どもにとって負担が大きいため、まず学校で母語の授業を行うべきであるという意見もあった。しかし同時に、公立学校で国際教室の一環として行っているところでは、母学級から取り出して授業を行っているため、教科が遅れるのが心配だという意見もあった。

 B場所の確保 に関しては、ボランティア教室では、子どもの学習意欲に次いで重要な問題となっている。これらの教室では公民館などを使用していることがほとんどであるが、その使用にあたっては趣味サークルなどと常に競合し、恒常的に使用できる保障はどこにもないため、場所を求めて転々としなければならなくなる。それが子どもの学習意欲を損なう原因にもなっていると考えられる。また使用料が必要な場合もあり、財政を逼迫させている。そのなかで、ボランティア教室で公立学校の教室を使用しているところが2教室あった。これは無償でかつ継続して借りられるし、また学校であれば子どもが勉強する気になり、安心感があるからだという。特にそのうちの一つの教室は、その学校に通う子どものみを対象としており、子どもにとっては国際教室の一部として認識されているそうである。母語教育を学校で行うことの利点については(7)で詳述する。

 C財政面 に関しては、外国人学校もボランティア教室もほぼ自助の形をとっているため、どこも困難を抱えている。外国人学校は、一部を除いて、収入のほとんどを授業料と寄付によっており、その寄付も一般の私立学校のように税制上控除されない状況にある。
 ボランティア教室では、国際交流協会などからの助成金を受けているところはわずかに2教室だった。教師や運営者がポケットマネーで賄っているところも少なくない。また「日本人の協力者がまったくいないし、教師兼運営者である自分は日本語があまり得意ではないので、そもそも助成金の情報が得られず、その申請の仕方もわからない」という声もあった。この点では、エスニック・コミュニティの中で運営されている教室であっても、日本にある限り孤立して行うことは極めて難しく、日本人との協力が求められていることがわかる。
 公立の小・中学校では、母語指導そのものに対して予算がついているというよりも、適応指導の一環として校内の取り組みがなされているようである。高校では、滞日年数の短い生徒への対応がきっかけとなり、母語の授業が滞日年数の長い生徒をも含めた学習機会として認識され、学校内における周囲の教師の理解と協力が得られた、という教室があった。

 D子どもの年齢・レベルが多様なこと は、前述のとおり“超複式”授業となるため弊害をよんでいる要因である。例えばある公立の小学校では時間数が月0.8時間と極めて少ないため、一年生から六年生まで、言語能力の差が大きいにも関わらず一緒に行っている。このような状況ではコーディネートに特別な工夫が必要となってくる。公立学校で行われている日本語指導でも、同様の理由で複式授業を余儀なくされる現状があるが、このような複式授業における効果的な指導法などに関し、日本語教師と母語教師が互いに協力する意義は大きいと考えられる。

 E時間の少なさ に関しては、外国人学校を除いてはどこの教室でもあげられていた。特に隔週や月に一度の教室では「親が家庭で母語を使うように努めるとか、宿題を見るなどの形で協力しなければ、はっきりいって効果はでない」と述べられている。そのため、家で母語を使うように教師が親に要請しているケースもあった。公立の小・中学校では「月一回が少ないのは分かっているが、国際教室としては月一回の運営が精一杯」だという。

 F教師の確保 に関しては、母語教師としての仕事が、公立学校でもボランティアでも安定した収入源としては程遠い現状があるため、母語が教えられる知識や技能を持ち、かつボランティア精神で活動できる余裕のある人が非常に数少ないことから出ている問題である。待遇面を改善することによって活用できる人材も増えてくるのではないかと思われる。

 G教材の不足 に関しては、困難点としてあげる教室は少なかった。これは教材が充分であるからというよりも、現在のところ教室を維持するための問題が大きく、教育そのものを充実させることが難しい現状にあるのではないだろうか。

 H学校教育の中での位置づけ に関しては、公立学校であげられた。これは母語教育が必要であるとの理念は理解していても、それを公教育の範囲でやっていくにあたっての難しさを意味していると考えられる。例えば公立の小・中学校では「母語教室に行くことで受けられなかった教科の時間をどう補うか」が問題となっている。取り出して母語や母文化を教えるということが「一種の差別」であるという意見もあるという。高校で「母語文化理解講座」として行っているところでは、公教育としての母語教育を行う上で、カリキュラムやプログラムの模索が開講以来続いているという。
 また、多様な言語背景をもつ子どもの教育についての理解が、教育行政や日本社会になかなか浸透せず、学校教育の中での位置づけが確立されないことが困難点であるとするコメントがあった。

(7)教育行政への意見

 教育行政等への意見は、やはり学校関係者からのものが多かった。しかし学校関係者もボランティアも、共に「学校で母語教育を行うこと」のさまざまな利点をあげている。
学校の中で行えば、子どもも安心し気持ちが前向きになり、自尊感情も高まる。同時に教師も自信を持って教えられるという。「学校教育」という枠組みに位置づけることで、子どもたちの動機が高まるという意見も多かった。

 学校で母語を教えることの利点としてFishman(1980)は「子どもにとって学校は重要な社会化の担い手であるため、学校での母語の学習機会は、社会において自分の言語が評価されているという認識につながる」と述べている。
さらには、学校で行えば他の日本人の生徒にもいい影響が出るという意見もあった。

 あるボランティア教室では、ボランティアではなく「学校教育の枠組みのなかでやりたかった」とするところもあった(そのため教育委員会に打診したものの受け入れられなかったので、ボランティアでやることになったという)。それは、学校外でその言語背景を持つ子どものみを「特別に」教えるのではなく、学校のなかで、ある子どもにとっては母語教育として、日本人の子どもや他の言語背景を持つ子どもにとっては外国語教育として行うことによって、互いに理解し「共生」するきっかけとしたかったからであるという。

  • ポルトガル語教室そのものははじめからやりたいと思っていた。その際には、ブラジル人の子だけでなく日本人の子と一緒にやりたかった。なぜならブラジルの文化を、日本人でもベトナム人でもいろいろな子どもに教えたかったから。お互い理解すればお互い成長できる。差別のない環境が作れる。だから始めはブラジル人だけに教えるのが嫌だった。ブラジル人だけに教えていたのでは「共に生きる」ことにつながらない。(ポルトガル語、ボランティア教室)
  •  これに対して、学校で行うことの利点は認めるものの、それに対する消極的な意見もあった。

     学校で母語教育を行うべきであるといっても、学校のみで行うのではなく、まず学校が基本となって、その上でボランティア教室と学校との連携をのぞむ声もあった。さらに、学校で母語教育を行うには母語を教えられる人材が今以上に必要となるが、これについて、現在ボランティアで活躍している教師のなかには、学校からの要請があればぜひやりたい、という意見もあった。
     それ以外にはボランティアの活動について「基本的には自分たちの子どもの教育なので自分たちの力でやるが、財政的に今の状態が精一杯だ」として、教育委員会などからの援助を求める声もあった。
    なお神奈川県教育委員会では、母語教育について基本的にその意義を認めている。教育委員会の刊行物である「いっしょに学ぼう―外国人児童・生徒のための日本語指導資料―」(1994)にも「母語の保持は帰国後の再適応につながるものであり、出身国民としてのアイデンティティの保持という点からも重要である」と記述されている。これは1980年代から進められている、児童・生徒一人一人が互いの個性を尊重し、思いやりや助け合いの心をもって共に生き、共に育っていくことができるよう「個性・共生・共育」の実現をめざす「ふれあい教育」の理念に基づくものである。言語相談員などマイノリティの言語を母語とする人員の配置もその例である。しかし母語教育に関する実践となると、さしあたっては日本語の指導が優先されているのが現状のようである。
     もちろん学校の中ですべてを行うことには無理があるだろう。しかし現実には長年の経験のある外国人学校があり、また多くのボランティア教室があるなかで、教育行政側とそうした機関や教室とが連携を図ることは重要であると思われる。そして教育行政は、そのきっかけづくりを積極的に行っていく役割を担っていくべきではないかと考える。

     

    4. ある母語教室の実践から

     「神奈川県内の母語教室調査」では、神奈川県内の母語教育の現状をおおまかに把握することはできたが、これは教師や教室の運営者を対象とした横断的な調査であったために、当事者である子どもたちや親の姿は見えてこなかった。すでに見たように、子どもの学習意欲や親の協力はボランティア教室にとって、母語教室の存続を決定するもっとも大きな要因である。そこで以下では、筆者の参加する母語教室をケースとして、そこに通う子どもたちの姿を追い、また親の協力体制がいかに築かれて行ったかを記述したい。

    4-1. 母語教室に集う子どもたちの意識

     ここで対象とする母語教室とは、IAPE(イアペ)が1994年から行っているもので、「神奈川県内の母語教室調査」であらわれてきたボランティア教室のなかでは唯一複数の言語(スペイン語・ポルトガル語)を扱っており、規模も大きいと言える。そして何より97年から98年にかけては、継続して教室に通ってくる子どもの人数が倍増し、また親の巻き込みにも成功したという点で、継続が困難な教室が多いなかでは発展しつつある教室であると言えるだろう。
     IAPEの活動は主に三つの事業を中心としている。@外国人児童生徒保護者交流会(FESTA:10月)、A沖縄へルーツを探る旅(8月)、そしてB母語保障教室(通年)である。そのうち母語保障教室は99年1月現在、毎週土曜日の午後2:00から5:00まで横浜市国際学生会館の研修室を2つ借りて行われている。教師はスペイン語3名、ポルトガル語2名、日本人スタッフは常時8名だが、活動内容によって参加するスタッフもある(これには日本人大学生や、かつてIAPEの活動に参加していた子どもで、高校生や大学生、社会人となった“OB”も含まれる)。生徒はスペイン語が30名ほど、ポルトガル語が20名ほどである。子どもの年齢は4歳から18歳だが、やはり小学生が中心となっている。京浜東北線沿線に住んでいる子どもがほとんどだが、このような教室が少ないため、千葉からはるばる来た子どももいた。
    IAPE に集う子どもたちは実に楽しんで来ているように見受けられる。98年に教室で行ったアンケートでは、実に8割近くもの子どもが教室を「好き」「まあまあ好き」だと答え、教室に参加する理由として「親が行きなさいというから」と答えたものは3割に満たなかった。教室内で子どもたちに聞いてみても、「ポルトガル語の勉強は好きじゃない。でも勉強したい」とか、「いつも学校の帰りに遊んでいるから土曜日は遊ばなくても大丈夫。ポルトガル語の勉強は本当に久しぶりで、楽しい」とか、さらにはどうして勉強したいの、という質問に対して「どうしても。自分の国の言葉だから」と答える子さえいる。IAPEのスペイン語・ポルトガル語教室に通う子どもたちは、実に積極的に自発的な意志を持って通ってきているのである。
    それでは、子どもたちは一体どのような思いで、何を求めて教室に通っているのか、また関わってきたのか、そしてどのように変化してきたのか。〔資料3〕では、IAPEに通う子どもの中で最年長のグループに属するカティア(ペルー、16歳)、ハビエル(ペルー、13歳)、タツヤ(ブラジル、18歳)の3人の子どもたちの例をあげた(なお本稿における子どもの名前はすべて仮名である)。
     3人の例からは、子どもたちが教室に求めているものが、決して母語能力の向上だけではないことがうかがえる。母語能力の向上に母語教室がどれだけ貢献しているかに関しては、ハビエルのように、週一回の教室が直接的には役に立たないことを認識している子どももいれば、カティアのように、母語能力伸長のきっかけになると捉えている子どももいる。
     カティアは「自分の言葉で話せるから教室が好き」という。スペイン語のクラスでは、日本に来てからの学校生活における“イジメ”の経験について語り合ったことがあったが、そのときカティアは「日本の“あたりまえ”とペルーの“あたりまえ”は違う」と訴えていた。「自分の言葉で」このような話をして共感を得られるという機会は、他の場所で得ることは不可能であろうと思われる。他にも、日本に来たばかりで学校に適応できず、その悩みを自分の母語教室の先生に相談していた子どももいた。その子どもは「親は忙しいからこれ以上心配かけたくないから話せないし、学校の先生は母語がわからないからなおさら相談できない」と言う。この子はそれまで顔つきがこわばっていたのが、以来実にリラックスした表情で教室に通うようになった。こうした例はよく見られたが、情緒的な安心感を得る機会として教室に大きく求めていることがうかがえる。
    カティアは「2年前に教室に来たときは国語のテストみたいで嫌だった」と述べている。現在のスペイン語クラスでは、時折スペイン語の曲のディクテーションを行うが、これにはいつもカティアが一番張り切って、曲に合わせて体を揺らしながら取り組む。教育方法については「あくまでも楽しく」を求めており、学校教育の枠組みの外での母語の学習機会は、子どもの負担を最小限に押さえる工夫が重要であることがわかる例だろう。
     カティアはまた、学校とは別の一番身近な情報源として、特に高校進学問題について教室に期待していることがわかる。現在のところ、多様な言語背景を持つ子どもの高校進学は、高校についての情報も中学から高校への連絡も少ない状況では相当な困難が伴うと思われるだけに、学校以外のネットワークも利用できたことは、彼女にとってプラスであったと思われる。
     ハビエルは、(母語教室の)スペイン語のクラスで先生となったこともあるが、母語教室ではこのように母語能力の高い子が、そうでない子に教える姿がまま見られる。これは多様な言語背景を持つかれらにとっては大きな意味のある機会である。「母語能力が高い子」とは来日してまだ間もない子であることが多く、学校では「日本語ができない子」として扱われている。そのような子どもが、母語教室では「母語ができる子」として振る舞うことが可能なのである。筆者が以前、別の子どもに真似をして「muy bien(よくできました)」と言ったとき、「(スペイン語のできない)あんたにそんなこと言われる筋合いないわよ」と子どもが言うことの、なんと健全なことかと思う。そこには「自分はスペイン語ができるのだ」という自信が垣間見られる。このように母語教室は子どもの自尊感情を高める重要な機会になっている。
    また彼は「言葉だけでなく文化も重要」と述べているように、文化を知り体験する機会としても教室に求めていることがわかる。
     タツヤにとって、母語教室はそれだけでは彼のポルトガル語能力向上には表面上役に立たなかったようだ。水面下の彼の母語能力を引っ張り出してきたのは、「沖縄へルーツを探る旅」で出会った、来日してまもないブラジル人のロドリゴの存在である。つまり、母語教室や「沖縄へルーツを探る旅」が媒介となって、ポルトガル語での言語接触のネットワークが形づくられたことが、タツヤが一度失った母語を取り戻すのに重要な役割を果たしたと言える。ハビエルも母語教室が友達づくりの場として重要であると述べているが、このことから母語教室は、子どもたちをただ孤立させないだけではなく、同時に、同世代で構成される言語接触のネットワークを生み出すきっかけとなり、そのネットワークを通じて、子どもたちの母語能力を向上させるという効果も生み出したと考えられる。

     

    4-2. 親の参加

     IAPEでは、現在は親が教室に入り込み、授業の手伝いをすることがあるが、親の協力が設立当初から見られたのでは決してない。むしろこれは97年以降の新しい現象である。この変化には三つのことが重なったことが関係している。それは@場所の安定、A日本人スタッフの充実、そしてBFESTAへの行政の協力である。
     現在の教室は、横浜市国際学生会館で行われているが、97年までは同じ建物に入っている潮田地区センターを利用していた。しかし地区センターは一般的な公共施設であるために、場所を恒常的に確保することはできず、一定していなかった。そのため時には子どもが誰も来ない日もあり、まして親同士の交流は望めなかった。それが97年夏から、国際学生会館との交渉により研修室が利用できるようになり、以来基本的に教室開催場所が安定するようになった。研修室は隣り合っており、また周辺にロビーもあり飲み物が飲めたり雑誌や新聞が読めるようになっていたりすることもあって、親はただ子どもの送り迎えをするだけでなく、親同士のコミュニケーションをはかることができるようになった。場所の確保は完全ではないし、時おり「子どもがうるさい」などの苦情をうけることもあるが、場所の安定が教室の安定につながったと言える。
    日本人スタッフについては、97年に2名が4名へ、そして98年には8名へと倍増した。そのため何人かが毎週教室に通い雑務を行うかたわら、子どもと共に学ぶことが可能となったことから、子どもとの信頼関係も築けたし、また親ともコミュニケーションがとれるようになった。
     さらに、98年は通常のFESTAに加え、鶴見区国際事業推進委員会で「ラテンアメリカのお祭り」が開催されたことで、その企画段階から親の参加が求められた。これをきっかけにして親同士のコミュニケーションと、また日本人スタッフと親とのコミュニケーションも活発となったのである。これについて、運営責任者である教員は、次のように語っている。

  • FESTA に関しては、一回目二回目は日本人の手によるものだった。三回目からは、外国人の子どもが参加するようになって、去年はかれらが司会をするようになった。そして、六回目(98年度)からは親の参加があった。外国人の側が「やりたい」と言い出すまでずっと待っていた。だから今回やっと要望が出てきてとても嬉しい。ここまでくるのに5年かかった。
  •  FESTA や「沖縄へルーツを探る旅」といったイベントは、子どもたちの母語教室への動機づけを高める機能も持っていたが、親の参加を促すきっかけにもなったと言える。
     そして97年10月にはじめての保護者会が開かれ、以来二ヶ月に一度程度開かれている。 保護者会ではイベントの準備や子どもの教育問題がテーマとなっている。母語教育についても、もちろん親によって考え方は違い「スペイン語教室として子どものスペイン語能力を保障すべきだ。だから宿題などをもっと出して欲しい」という親もいれば、「週一回で上達するわけがないのだから、あまり教室にスペイン語能力の向上を期待するのは間違っている。だから私たちは家でもスペイン語を話すように心がけている」という親もいる。子どもの母語能力を道具的ではなくアイデンティティの象徴としてとらえ「少しでもポルトガル語が耳に入って興味が持てればいい」という親もいる。このような意見も活動への親の参加がなければ得られないし、教室としてもより多くの人の意見を取り入れて方向性を模索することができるのである。

     

    5. おわりに

     母語教育の実践にはさまざまな課題があるが、母語教育がけっして「絵に描いたモチ」ではなく、現実のものとしてあちらこちらにおいて実践されているという現状が「神奈川県内の母語教室調査」によって明らかになったと思う。
     さらに今回の調査では、母語の学習機会が、多様な言語背景を持つ子どもの自尊感情を高め、情緒的な安定とアイデンティティ確立を支援する役割を果たしているということが確認できた。また母語教育の言語教育としての目的は、幼い子どもや定住型の子どもには親子のコミュニケーションを円滑なものにするため、母語の確立している子どもには母語のスキルアップや母語を使った学力保障のため、また非定住型の子どもには帰国後の準備のためと、子どもの年齢や環境によって多岐に渡って設定されていることがわかった。それ以外にも、母語教室の場が「友達づくりの場」であったり、「情報収集の場」であったりする意義も有していることが確認できた。母語教育と一口に言っても、それぞれの環境とニーズによってさまざまな目的があり、それに応じた多様な役割と柔軟な対応が求められていると思う。
     また、母語教室があげた困難点から一つ言えることは、これら多様な言語背景を持つ子どもを、親を、教師を、母語教室を孤立させず、地域社会のなかに位置づけ、その上でそれらをネットワーク化していくことが肝要であるということである。とりわけ教育行政との関係においてこれを促進していくことがのぞまれる。そうすることで、いまある母語教室を、地域の教育力の有効な「資源」として活用していくことが可能となるであろう。
     なにより、これらの母語教育が示しているところは、言語や文化が社会にもたらす「多様であることの豊かさ」ではないだろうか。母語教育は、多様な言語背景を持つ子どもに対する特別なケアではなく、日本人の子どもも、そして私たちの社会にとっても豊かさをもたらすものではないかと思われる。


     「神奈川県内の母語教室調査」は、神奈川県国際交流協会ハローフレンズ援助金の助成を得て行われました。当協会に対しましてはここに御礼申し上げます。また、調査にご協力くださいました多くの方々に、この場を借りて御礼申し上げます。


    〔参考文献〕
    朝倉征夫(1997)「民族的マイノリティの文化的権利と言語教育」『多言語・多文化コミュニティのための言語管理―差異を生きる個人とコミュニティ―』国立国語研究所
    池上摩希子(1998)「児童生徒に対する日本語教育の課題・再検討―研究ノート」中国帰国者定着促進センター紀要 第6号
    石井美佳(1999)「多様な言語背景を持つ子どもの言語教育に関する研究」横浜国立大学大学院教育学研究科 修士学位論文
    岩見宮子・山本紀美子・関口明子・安達幸子(1993)「日本に定住したインドシナ難民の母語の保持と喪失に関する調査研究」『AJALT』16号、国際日本語普及教会
    大田晴雄(1996)「日本語教育と母語教育―ニューカマー外国人の子どもの教育問題」宮島喬・梶田孝道編『外国人労働者から市民へ―地域社会の視点と課題から』有斐閣
    ココアの会(1999)「神奈川県内の母語教室マップ」印刷中
    佐藤郡衛(1996)「日本における二言語教育の課題」広田康生編著『講座外国人定住問題 第3巻』明石書店
    中島和子(1998)「年少者の日本語教育とバイリンガル教育」全国国語教育実践研究会編『実践国語研究別冊 日本語教室の実践と日本語教育のあり方』明治図書
    沼尾実編(1996)『多文化共生をめざす地域づくり 横浜、鶴見、潮田からの報告』明石書店
    山口恵理(1998)「在日ベトナム人年少者の言語教育に関する一考察」『学芸日本語教育』東京学芸大学
    Cummins,J(1984) Bilingualism and special education: Issue in Assessment and Pedagogy , Clevedon: Multilingual Matters.
    Fishman,J.A (1980) “Minority language maintenance and the ethnic mother tongue school” in Modern Language journal 64:167-172
    Lambert, W.E.(1975) “Culture and language as factors in leaning and education” in A.Wolfgang(ed.) , Education of immigrant students. Toronto :Ontario Institute for Studies in Education.
    Landry, R. & Allard, R.(1991) ”Can schools Promote Additive Bilingualism in Minority Group Children? ” in Malave,L. and Duquette, G. (eds) Language, Culture, and Cognition. A Collection of studies in First and Second Language Acquisition.198-231.
    Linguistic Minorities project(1985)The Other languages of England. Routledge & Kegan Paul, London .
    Skutnabb-Kangas,T.(1981)Bilingualism or Not: The Education of Minorities. Clevedon: Multilingual Matters


    〔資料1〕「神奈川県内の母語教室調査」質問項目リスト

    <基礎情報>
    1.教室の正式名称 2教室の連絡先 3.教えられている言語 4.教室の開催日・時間・頻度  5.運営の責任者・機関名 6.教室開催場所 7.会場使用料 8.先生・スタッフの人数・名前  9.生徒の負担する費用 10.教室の設立年 11.生徒の参加資格や受け入れ時期

    <生徒>
    12.生徒数(名簿に記載されている生徒数/通常出席している生徒数)、生徒の年齢
    13.何クラスありますか(レベル別/クラスごとの人数)。
    14.生徒の来日年、滞日年(平均して)
    15.生徒の背景(親の来日目的:定住/出稼ぎ・短期滞在か)
    16.生徒は自分の意志で来ていますか、それとも親の意志ですか。
    17.一番遠くから通っている生徒は、どこに住んでいますか。
    18.教室に一般の日本人の子どもは来ますか。

    <言語と他の教育内容>
    19.子どもの家庭言語(すべて、方言も含む)、優勢言語は何ですか。
    20.言語の技能のどの要素を重視していますか。
    21.最終的にその要素がどのレベルまで到達することを目標としていますか(その言葉を使って何ができるようになるといいと思いますか)。
    22.言語以外に教えていることがありますか。それは何ですか。 ex. 文化、日本語、学習補講
    23.教育内容を決定する際、誰の意見を重視しますか。(子ども/親/教師/運営者)

    <教材>
    24.どのような教科書を使っていますか(L1/ L2、大人向け/子ども向け、出版地)。
    25.この教室で開発した教材はありますか、それはどのようなものですか。どのようないきさつで作られたのですか。
    26.その教科書をどのように使っていますか。ex. シラバスとして、素材として
    27.本以外の器材や教材を用いますか。何を用いますか。
    28.教師(あなた)や生徒たちは、教科書や母語でかかれた本をどこから得てきますか。
      ex.学校の図書室、母語教室の図書室、公共図書館

    <イベント>
    29.イベントは行っていますか。それはいつ、どのようなイベントですか。
    30.そのイベントを運営するのは誰ですか。(生徒/親/教師/運営者)
    31.何のためにイベントを行いますか。
    32.イベントごとの参加人数はどのくらいですか。イベントの資金はどうやって得ますか。

    <教師>
    33.教師(あなた)についてうかがいます。
      ・経験年数
      ・職業(専任/兼任)
      ・教育の資格(教員免許など)
      ・言語の資格(検定など)
      ・学歴、専門分野
      ・この教室への参加のいきさつ
      ・参加の理由
    34.担当するクラスは決まっていますか。
    35.一時間の授業の準備にかける時間はどのくらいですか。
    36.謝礼はもらっていますか。それはいくらですか。

    <運営>
    37.スタッフは何人いますか。
      ・母語を教えている教師の人数(各言語、クラスごとに)
      ・その他のスタッフの人数、役割
      ・それぞれのスタッフへの謝礼の有無、金額(交通費、コピー代などの実費を含めて)
    38.財政はどのように賄っていますか。それはどこからの支援ですか。
    39.親との連絡はどのように行っていますか。ex. 父母会、ニューズレター、イベント
    40.どこか同じ母語を教えている他の教室を知っていますか。(その教室の名称と活動場所、連絡先)
    41.どこか別の母語教室やボランティア団体と連携をとっていますか。それはどのような点ですか。

    <母語教室の経過と目的>
    42.教室の設立のいきさつを教えてください。
      ・設立者
      ・設立の理由
      ・設立当初から現在までに変化がありましたか。それはどのような変化でしたか。
       ex.教師、生徒、親、指導内容、教授法、目的、財政的基盤
    43.現在の教室の目的は何ですか。

    <教育行政等への意見>
    44.教室を運営する上での一番困っていることは何ですか。
    45.母語教育を公教育の場で行うことについてどう思いますか。


    〔資料2〕 神奈川県内の母語教室リスト(1999年1月現在)

       

    教室名(言語)

    活動開始年

    活動継続年

    生徒数

    教師数

    教室開催頻度

    教室開催場所





    1

    神奈川朝鮮中高級学校

    1951-






    2

    横浜朝鮮初級学校

    1946-






    3

    川崎朝鮮初中級学校

    1945-


    158人




    4

    南武朝鮮初級学校

    1946-






    5

    鶴見朝鮮初級学校

    1946-






    6

    横須賀朝鮮初級学校

    1946-






    7

    サンモール インターナショナルスクール

    1872-


    300人




    8

    セントジョセフ インターナショナルスクール

    1901-


    307人




    9

    横浜インターナショナルスクール

    1924-


    400人




    10

    東京横浜ドイツ学園

    1904-


    420人




    11

    横浜山手中華学校

    1897-


    280人




    12

    横浜中華学院

    1898-


    165人







    13

    綾瀬市立T小学校(ラ・ポ)

    1994-

    5年

    36人

    2人

    3.3h/月


    14

    大和市立W小学校(べ・カ・ラ・中)

    1990-

    8年

    33人

    4人

    0.8h/月


    15

    大和市立F中学校(べ・カ・ラ)

    1990-

    8年

    38人

    3人

    0.8h/月


    16

    県立S高校(中・フ)

    1997-

    2年

    7人

    4人

    12h/月


    17

    県立H高校(中)

    1997-

    2年

    3人

    2人

    8h/月


    18

    県立K高校(ポ)

    1997-

    2年

    2人

    1人

    8h/月

     

    19

    県立D高校(ス・中)

    1997-

    2年

    4人

    4人

    13.3h/月

     

    20

    県立B高校(ス)

    1998-

    1年(未満)

    1人

    2人

    3.3h/月

     

    ボランティアベースの教室

    21

    横浜コリアン語教室

    1983-
    (断続的)

    1年

    4人

    1人

    3h/月

    公共施設

    23

    川崎コリアン語教室A

    1995-

    4年

    1人

    1人

    4.5h/月

    病院

    22

    川崎コリアン語教室B

    1991

    8年

    25人

    5人

    6h/月

    私営施設

    24

    中原(川崎)コリアン語教室

    1994-

    5年

    20人

    1人

    4h/月

    私営施設

    ボランティアベースの教室

    25

    瀬谷カンボジア語教室

    1998-

    1年(未満)

    2人

    1人

    8h/月

    個人宅

    26

    相模原カンボジア語教室A

    1991のみ

    1年(未満)

    19人

    3人

    8h/月

    公民館

    27

    相模原カンボジア語教室B

    1992ー1993?

    1年(未満)

    不明

    10人

    不明

    公民館

    28

    平塚カンボジア語教室

    1994-1998

    5年

    54人

    5人

    6h/月

    公民館

    29

    大和ラオス語教室

    1992のみ?

    1年(未満)

    14人

    4人

    不明

    公民館

    30

    秦野ラオス語教室

    1996-

    3年

    21人

    2人

    8h/月

    公民館

    31

    藤沢ベトナム語教室

    1989-

    10年

    28人

    3人

    6h/月

    教会

    32

    大和ベトナム語教室

    1996-

    3年

    6人

    3人

    6h/月

    公民館

    33

    小田原ポルトガル語教室

    不明

    不明

    5人

    1人

    8h/月

    個人宅

    34

    藤沢ポルトガル語教室

    1997-

    2年

    6人

    2人

    3h/月

    公立学校

    35

    綾瀬ポルトガル語教室

    -1997

    不明

    13人

    1人

    不明

    公民館

    36

    愛川ポルトガル語教室

    -1998

    不明

    不明

    1人

    不明

    公民館

    37

    鶴見ス・ポ語教室

    1994-

    5年

    50人

    5人

    6h/月

    公共施設

    38

    湘南台スペイン語教室

    1991-

    8年

    50人

    3人

    4h/月

    公民館

    39

    大和スペイン語教室A

    1995-

    4年

    31人

    1人

    8h/月

    公立学校

    40

    大和スペイン語教室B

    1998-

    1年(未満)

    4人

    2人

    12h/月

    私営施設

    41

    相模原中国語教室

    1997-

    2年

    9人

    1人

    8h/月

    公共施設

     

    42

    公文式鶴見教室(ポ)

    1998-

    1年

    17人

    2人

     

    私営施設

    * ベ:ベトナム語、カ:カンボジア語、ラ:ラオス語、中:中国語
      ス:スペイン語、ポ:ポルトガル語


    〔資料3〕 母語教室に集う子どもたちの声

    a)カティア(ペルー、16歳)
    カティアは小学校を終えて来日した。日本での生活は4年目になる。4人きょうだいの長女で、弟妹の面倒をよくみるしっかり者である。家ではすべてスペイン語だという。母親は日本語がわからないし、父親は仕事で日本語を話さざるを得ないことから「家に帰ってまで日本語を使いたくない」と言って、子どもたちが日本語を話すと怒るそうである。弟妹たちともほとんどスペイン語で話し、教室のなかではもっともスペイン語が保持できているように見受けられる。
    しかしその彼女も、スペイン語を忘れていると自覚している。スペイン語は漢字みたいにやらないと忘れる。辞書がないとわからないことが沢山あるという。むこうの友達と電話していても分からないことがしばしばあるそうである。また親や大人が話すのを聞いていても知らない言葉がたくさんある。そうすると父親に「おまえは学校を6年生まで終えているのに、どうしてわからないんだ」と言われ、とても恥ずかしく思っている。だから教室がすごく役に立っている、という。わからない言葉を知ることができるし、辞書で調べたりするきっかけになる。家族と違う大人と接することで、スペイン語の幅も広がるという。
    教室に行くようになったのは、「スペイン語を忘れているから行きなさい」と父親に言われたから。でも彼女自身、教室に来るのが好きだという。何より自分のことばで話せるから、という。実は2年前にも一度教室に来たことがあるが、その時は嫌いな人がいたし、先生も国語の授業みたいに単語テストをしたりだった。それで行かなくなったそうだ。でもまた来てみたら、嫌いな人はいなかったしちょうどクリスマス会で楽しかったとのこと。
    現在中学3年に在籍しており、高校に行きたいと思っているが、入れる高校があるのかがもっとも心配だという。教室に来ていれば高校や受験についての情報も入ってくるので、助かるという。

    b)ハビエル(ペルー、13歳)
    ハビエルは6歳のときに来日した。一人っ子で、日系人の母と非日系人の父を持つ3世である。頭が良く、早くおいでと声をかけると「飛んでいくぜ」と表現できる日本語力の持ち主である。
    「教室はあってよかったよ、だって教室がなかったらタツヤにも会えなかったし」とハビエルはいう。鶴見は外国人が多いとはいいながらも、学校ではやはり圧倒的に少数派であり、同じような境遇の、それも気の合う友達はなかなかいない。タツヤとは97年の「沖縄へルーツを探る旅」で知り合った。国は違うが話が合うし考え方も共通するところがあって親友になったそうだ。最近はタツヤに「おまえ、ポルトガル語やらないと忘れるぞ、読めるか?書けるか?」と諭している。
    ハビエルは3年程前からIAPEの教室に通っている。教室のことは学校の先生に聞いて来たという。当時のスペイン語力は「けっこうやばかった」。彼の父親が言うには、何とか通じるが、ほとんど赤ちゃんことばのようなものだったらしい。「今は大分ましになったけれども、でも13歳本来のレベルではまだない」という。教室に来るようになって、スペイン語は上手になった?とたずねると、「ここに通ったってうまくはならないよ。でもおかげで忘れずにいられる」。通いはじめて最初の4週間は、特にスペイン語を勉強したいという気持ちが強く、先生がやさしく接してくれるから楽しかったという。先生が足りない時には、先生役をかってでたこともある。
    10月のFESTA で彼はペルーの民族舞踊であるマリネラを踊った。またギターで「コンドルは飛んでいく」も披露した。そのために部活を休んで練習していたという。最近はスペイン語の伝統的な音楽を聞くと「自然と体が動く」という。ラテンの血が騒ぐのだそうだ。
    また彼はIAPEの活動にも興味を示し、教師とスタッフが話し合っているところへ「あのー、大人ばっかりじゃなくて、子どもの意見も聞かないとダメですよ。やっぱ子どもの気持ちは子どもじゃないと。だから俺が子ども会の初代会長になる」という。そして他の団体のクリスマスパーティにゲスト出演した時に「僕たちは鶴見で母語を勉強していますけど、こうやって音楽とか踊りも練習しています。ことばだけじゃなくて、こういう文化も大切だと思います」と見事なスピーチもしている。

    c)タツヤ(ブラジル、18歳)
    日本とブラジルの二重国籍者。滞日6年。高校生。4人きょうだいの3番目。両親とも沖縄県系で、家では両親はほとんど琉球語で話しているという。ブラジルでは沖縄方言とポルトガル語で生活し、日本ではそれに日本語が加わり、非常に複雑な言語環境で育っていることがわかる。ブラジルでは日本人日本人と言われていた。「そんな細い目で見えるの?」と馬鹿にされたこともある。小学校を卒業してから来日、小学校6年に入った。日本とブラジルの学制の違いから、2学年下げたことになる。これは学校と両親との話し合いによって決められたもので、タツヤ自身は決定に参加させてもらえなかった。そのため、学校ではクラスに入っても「ガキばっかりで馬鹿馬鹿しかった」という。
    来日して一番苦労したのは日本語だという。ブラジルにいたとき1年間だけ日本語学校に通っていたが、全然覚えないままにやめてしまった。お姉さんたちはまじめに通っていたので日本に来てあまり苦労しなかったようだ。もっとまじめにやっておけばよかったと思っている。
    母語教室に通いはじめたのは97年の「沖縄へルーツを探る旅」で教室を知ってからである。彼はその旅で父方の祖父に会っている。その年、中3になってから今度はポルトガル語を忘れたと意識しだした。ポルトガル語教室での彼は、小学校を終えて来日しているのにもかかわらず、ポルトガル語での自発的な発話はほとんどなかった。彼自身の希望で、小学校3年生のテキストに沿って授業が行われた。彼はテキストの文は読めるし理解もできているようだったが、「não sei(わからない)」とか「ate prosima sabado(また来週の土曜日に)」といった短い語句以外はまったく口にしなかった。「聞いてわかるけど、話せないのがくやしい」という。「何か言おうと思っても、ポルトガル語がすぐ出てこないし、だからムカつく。日本語もでてこないし、これもムカつく」。まじっちゃうの、と聞くと「そうそうそう」と言う。
    彼が変わったのは、その翌年98年の「ルーツを探る旅」に再び参加してからである。ここで彼はその年の3月に来日したばかりの、やはり沖縄県系でブラジル人のロドリゴと出会う。ロドリゴもまた学年を下げていたこともあって仲間と合わなかったところ、タツヤと意気投合した。ロドリゴはまだ日本語が上手ではなかったため、当然会話はポルトガル語になる。そうしてロドリゴと10日間を過ごすうちに「ポルトガル語が急にでてきた」。以来タツヤは、日本語で話す姿を見ないほどポルトガル語に不自由しなくなった。一度は失った母語を取り戻したのである。