日本在住の外国人の子どもと教育』  抄録

佐藤 純

(H13年度 東京女子大学卒業論文)

 


 1980年代以降、日本に移住するニューカマーの増加に伴い、その子どもたちも増加の傾向にある。こうした外国人の子どもたちは、就学年齢であれば公立の小・中学校に通うことになり、外国人の子どもを受け入れる学校では様々な問題への対応に迫られている。
 外国人の子どもが日本で教育を受ける場合、日本人の子どもと「同じ授業を同じ方法で受ける」ことが前提とされている。このため、外国人ということで「特別扱い」されない反面、外国人の子どもの特殊な状況が無視されることになる。日本語指導が必要な外国人の子どもに対して、学校では通常「初期指導」として「適応教育」と「日本語教育」を行う。「適応教育」の目的は、外国人の子どもが日本人の子どもと同じように学校生活が送れるようにすることである。現実には、持ち物、服装、行動や考え方までにいたる同化を強いる指導となっている。一方、「日本語教育」の目的も外国人の子どもを学校生活に「適応」させるという側面がある。しかしながら、「子どもの権利条約」でも保障されている、教科を理解するための「日本語教育」が本来の目的となるべきである。
 Cummins(1984)によると、言語能力には実際の生活場面で必要となるBISC(basic interpersonal communicative skills、以下「生活言語」とする)と認知・学習場面で必要となるCALP(cognitive / academic language proficiency、以下「学習言語」とする)の2種類がある。子どもの場合、生活環境が変わることによって「生活言語」は比較的早く身につくが、非言語的な手がかりが文脈から切り離され、抽象的思考が必要となる「学習言語」は、分析、統合、評価などの高度な思考技術と密接に関わっており、習得には5年以上必要である。したがって、日常会話ができるようになった段階で、日本語の指導を打ちきると、「学習言語」が習得されていないために教科学習に支障をきたすことになる。それゆえ、日本の学校で行われている「初期指導」としての「日本語教育」だけでは、在籍学級の授業を理解することはできないと指摘されている(太田、2000)。
 また、外国人の子どもが第2言語としての日本語を習得する場合、第1言語(母語)の発達程度が第2言語の発達に影響を及ぼすことが明らかになっている(Cummins、1984)(Skutnabb-Kangas、1981)。第1言語の発達過程にある子どもが、第2言語で学習しなければならないと、量的にも質的にも十分な学習が行えない問題が指摘されている(Baker、1993)。
 実際に、公立の小学校および中学校では、外国人の子どもに対する「日本語教育」がどのように行われ、またどのような問題を抱えているかという実態を明らかにするため、外国人の子どもへの日本語指導経験者14名を対象とした面接調査を行った。調査方法は、「半構造的面接法」を用い、原則として1対1の個人面接を行った(ただし、一部集団面接も含まれる)。基本的質問内容は、「指導時間と授業形態」、「教科指導」、「日本語指導に関する問題点・要望」、「子どもの日本語教育」の5項目である。調査の結果からつぎのようなことが明らかになった。
 日本語指導は、あらかじめ時間枠が決められていることが多く、1回の指導時間は1時間半から2時間で、主に「取り出し指導」の形態で行われる。この指導を週2回行うと、約半年程度で終了する。この時点での、子どもの日本語のレベルは、初級の中程度で、授業を理解するには十分ではない。しかしながら、「取り出し指導」としての日本語指導を終了するには、適当な時期ではないかという意見があった。日本語指導者がこのように考える理由には、「生活言語」はある程度習得していること、他の児童・生徒が在籍学級で授業を受けている間に、別の場所で行われる「取り出し指導」が集団行動を取る学校生活の中では特殊な形態であること、出席できない教科が遅れることなどがあげられる。一方で、半年程度の日本語指導では、「学習言語」を完全に習得することができず、授業理解が難しいという理由から、日本語指導の期間としては不十分であるという意見もあった。このように指導時間について意見が2分したのは、日本語の指導を「会話中心」とするか、「教科学習の理解」を含めるかという日本語指導に対する目的意識の違いが原因と考えられる。このような目的意識の違いは、教科指導の位置付けにも影響を及ぼしている。前者の「会話中心」を目的とする指導者は、日本語指導を優先し、日本語学習の動機や達成感を高めるために教科内容を取り入れている。後者の「教科学習の理解」を目的とする指導者は、教科指導に重点をおき、教科に出てくる語彙の説明やテスト対策などが指導の中心となる。このように日本語指導の目的意識に差が生じたのは、そもそも日本語指導が何故行われるかという目的が明確にされていないことと、指導時間に期限が定められているためだと考えられる。
 また、日本語の習得は、単に学習者と指導者の2者の関係で成り立っているものではなく、学校、担任教師、日本語指導者、クラスメート、学習者のやる気といった全ての環境が整わないと上手く機能しないと指摘されている。しかしながら、特に日本語指導を学校の外部の指導者に任せている場合には、教科学習と日本語指導は独立して行われている傾向がある。なぜなら、日本語指導者は担任との連絡を密にとりたいと考えているものの、必ずしも双方向の連絡体制が構築されているわけではなく、担任の考え方によっては学級での様子が日本語指導者に伝わらないことがある。担任と日本語指導者が連絡や連携が行えない状況では効率的な日本語指導が行えず、在籍学級での授業理解が妨げられる。日本語指導者は、教科学習を日本語指導に組み入れているが、外国人の子どもが教科をどの程度理解しているかを把握できず、教科内容も知ることができないのが現状である。
 子どもは、認知面や精神面で発達段階にあり、集中力も低いことから、指導方法には様々な工夫が必要である。さらに、外国人の子どもといっても国、民族、文化、母語、母語の言語能力、教育歴、性別、年齢など様々な要因を持つ子どもたちである。これらの特徴を把握しなければ子どものニーズに応じた的確な対応ができない。それだけに、一般化しやすい大人の教育に比べ、子どもの日本語教育は教師の努力や経験が重要である。
 外国人の子どもが、教科学習をするうえで、どのような問題に遭遇するかを具体的に把握するため、学習サポートを通した観察を行った。対象はフィリピン人の女子児童(以下Mさんとする)で、2001年4月に来日し、公立小学校の5年生に在籍している。Mさんは、観察開始時点で来日から約4ヶ月が経過しており、小学校の日本語指導により、ひらがな・かたかな・小学校1年生の漢字は習得済みであった。1対1による意志疎通もできた。観察は、週1回2時間程度行われる1対1の学習サポートから、「漢字学習」、「九九の練習」、「算数の文章題」を中心として行った。観察結果からは、つぎのようなことが明らかになった。
 Mさんは、非漢字文化圏出身であるため、漢字の学習は、小学1年生まで遡って学習しなければならないため、日本語の習得の上で重点が置かれている。加えて、漢字の習得は文字の習得だけでなく、文字が表わす意味をあわせて理解しなければならない。Mさんにとって理解することが難しかったのは、「とう番」「広場」といった抽象的な言葉や「引く」のように複数の意味を表わす言葉であった。
 また、九九の習得は、効率的な暗記方法と考えられたが、母語での暗記でないことと九九特有の言いまわしが障害となり、想像以上に難しい作業であった。
 算数の文章題では、日常会話と違う言いまわしが文章に使われているために、計算方法は知っていても、問題文の内容が理解できないために解答できない問題がいくつかあった。また、算数の文章題では、生活に密着した場面を想定して問題が作成されていることが多いが、Mさんは日本での生活経験が短いため文章の場面を想像できないことがあった。加えて、日本語特有の表現である数詞も算数の文章題を複雑にしている一因であった。Mさんは、こうした日常生活では使用しない「学習言語」の不足が、算数の文章題を解く際の障害になっている。
 このように、外国人の子どもは、日常会話ができるようになっても教科学習の理解は十分にできない。したがって、長期にわたる教科学習のための支援が必要になる。現状の日本語指導体制では、外国人の子どもが授業を理解できる日本語能力を十分に身につけられないことから、今後は、教科学習が理解できるようになるための外国人の子どもへの総合的な教育システム作りが必要である。
 外国人の子どもへの教育システムは、つぎの5つの条件を満たすべきである。

1. 日本語指導の目的が教科の理解のためであるということを明確化し、「取り出し指
導」としての集中的な日本語指導終了後も、教科指導を目的とした長期に渡るサポ
ート体制を整える。
2. 学校、担任、日本語指導者、家族の連携を図る仕組みを整える。
3. 認知能力が発達段階にある子どもの日本語教育は、まだ完全に指導方法が確立され
ていないため、これまで蓄積されてきた指導方法や教材を子どものニーズに合わせ
て適切に活用していけるようにするのと同時に、多様化する外国人の子どもに対応
できるように改良や開発を進める。
4. 多様化する外国人の子どもに対応するために子どものバックグラウンド(母国、母
語、母国での教育歴、学習状況、家庭環境など)を十分に把握するための調査を行
う。
5. 母語を考慮した日本語指導を行い、将来的には、母語発達のサポートを行う。

 このような個人個人に対応した教育システムを構築しなければ、多様化した外国人の子どもに対する十分な教育は不可能であるともいえよう。換言すれば、日本の子どもたちでさえそれぞれ違った個性を持っているのであるから、個性重視の教育が求められる現代では、外国人だからといって「特別視」するのではなく、どの子どもにおいても特徴的な個性があるということを認識して教育方法を考えていかなくてはならない。