ともちゃんの おへそは お母さんの顔

 

 ともちゃんという、三才になったばかりの男の子が、いました。難民収容所に来たときは、お母さんと一緒でしたが、この収容所に来て間もなく、お母さんは栄養失調と病気のため死んでしまいました。
 ともちゃんは、ひとりボッチになってしまいました。でも、ともちゃんは持ち前の人なつっこさと、明かるさで、孤児たちの人気者でした。
 ともちゃんは、よく大声で歌をうたいます。舌たらずの歌がとてもかわいいのです。
「むちゅんでえ ちゅらいてえ‥‥」と うたい終わると、「ともちゃん 歌がとてもうまいでちょう」と自分からいうのです。
 ともちゃんは、昼間のあいだは、孤児のお兄さんたちと一緒に、ダブダブのズボンと、ダブダブの兵隊さん用の上着のすそをひきずりながら、チョコチョコとあるいてたきぎ拾いや、水を汲んだりして、お兄さんの手だすけをします。
 その代わり、お兄さんのはんごうと一緒にこうりゃんや粟のぞうすい作ってもらいます。
 ぞうすいを作るということは、少しでも食事の量を増やすために、食べられそうなものは、何でも入れます。食べられそうな野草や、飯店のごみばこから拾ってきたりします。それを、はんごうに水をたっぷり入れてにこみます。そうしなければおなかがへって大変です。
 夕方になると、ともちゃんはお母さんを思い出すのかとてもさびしそうです。天気のよい日は夕方になると校庭の東隅にあるお母さんたちが、眠っている土まんじゅうのお墓に向かって小さな手をあわせています。
 そして、きまったように、ダブダブのズボンをちょっとさげ、ダブダブの上着を少し上げてなにかを見つめているのです。
 それが、天気のよい日は、毎日のように続くのです。
それを見ていた、お兄さん孤児たちの話題になりました。
「ねえ!ともちゃん 少しおかしいじゃないかなあ」
「いったい、なにをやっているんだろう」
「ぼくは、前から気になっていたんだけど?お墓に手をあわすのは、四才になったばかりの子としては、なかなかできるもんじゃないよ、とても立派だよ」「ぼくは食べるのに一生懸命で‥‥毎日のようにはできるもんじゃないよ」
「そうだ、ぼくたちは、生きるのに、精一杯なんだから」
「それはいいとして、ほんとに、ともちゃんなにをやってるんだろう?」
「そうだ上着をまくってズボンがずりおっこちそうなかっこうで、下を向いてブツブツいって長い時間なにかを見つめているんだから?」
「変だねえ?」
「なにをやっているか聞きたいねえ」
 みんなは、不思議がり、なぜそんなことをするのか考えてもわかりません。そこで、ともちゃんに聞くことにしました。

いつものように、お墓まいりをすませてお部屋に帰ってきました。ともちゃんは、お兄さんの顔を見ると、はにかみながら、にこっと笑いました。
「ねえ!ともちゃん、お母さんのお墓に、手を合わせたあと 何をしてるの、お兄さんに教えて」
というと、ともちゃんはキョトンとした顔をしていいました。

「ともちゃんはねえ、お母さんとお話をして、お母さんのお顔を見ているの」

「お母さんと話してお母さんのお顔を見ているの?」
お兄さんたちもおもわずキョトンとしてしまいました。

 ともちゃんは、大きな声でいいました。
「ともちゃんのおへそは、お母さんの顔!」

 それを聞いてみんなは、どっと腹をかかえて大笑いをしました。
「どうして、ともちゃんのおへそは、お母さんの顔なの」

ともちゃんは、困ったような顔をしていいました。

「お母さんが死ぬ前に、何度もお話してくれたの…
お母さんにあいたかったら、おへそをみなさいって
おへそは、ともちゃんがおなかにいるとき、ながい間おへそからおっぱいをすっていたの、だからさびしい時には、ともちゃんのおへそをみなさいって…きっとお母さんの顔がみえるでしょうって」
ともちゃんのたどたどしいいいかたからこのようなことが分かりました。

 お母さんは、死を前にしてともちゃんのことを、どんなに心配したのでしょう。
「きっと、わたしが死んだらともちゃんは、どんなに、さびしがるでしょう。
 だから、私にかわるべきものをともちゃんに、あげなくてはならない」と、お母さんは必死になって考えたに違いありません。
 そして、日本に帰るまでさびしがらずに、みんなから愛されるともちゃんになってという願いをこめて、思いついたのは、きっと、ともちゃんの おへそのことだったのでしょう。
 ともちゃんのいったことを聞いた、孤児たちは、しゅんとしてしまいました。いままで、冷やかし半分だったのですが…だれいうとなく みんなは、自分のおへそをみつめていました。
そして、口々に小さい声で、お母さん!お母さん!といいました。いつしかみんなの声は 泣き声にかわっていきました。
 
そのことがあって、まもなく新京の街にも寒い寒い冬がやってきました。木枯らしがふいて、葉が黄色くなって一枚一枚が、ひらひらと灰色の大空へ、吸い込まれていくように、元気だった、ともちゃんはじめ 多くの孤児たちも寒さと飢えと病気のために、春を待たず天国へ召されていきました。

ともちゃんも、ともちゃんのお友だちも ともちゃんとおなじように体をくの字にまげ、おへそを見ながら死んでいきました。
 理科室にあった死体収容所には大人や子供の数多くの死体が無造作に並べられていました。形ばかりの供養の火のついていない一本のローソク台とあきかんのせんこうたてが置かれていました。
 週一回マーチョ(馬車)に二十数体荒縄でくくられてどこかへ運び出されていました。
 十月下旬になると理科室の中は、死体の山がきづかれ足のふみばが無くなってしまいました。
 そこで各部屋から二名ずつ出て死体を整理することになりました。まるで線路のまくらぎのように井げたに積み重ねました。教室一杯に井げたの塔が並びます。
 並びきれなくなると、運動場に掘ってあった穴に十数体放り込みます。
 すでに体力の限界に達した私達は静かに置くという気力さえ無くなり早く作業が終わればいいだけを願うようになりました。
 寒さが加わるにつれ死体を穴へ放りこむとコツンとかコーンと長く音をひきます。その音によって気温の差が分かるようになりました。コツンというのは、氷点下二十度。コーンと尾をひくような音になると三十度以上の時にそのような音がします。
 その頃になると人間の感情と言うものが無くなってきました。